ネタに詰まるというのは、慢性的なものであるが、なにも思いつかなかったから、書けませんでした……というわけにはいかない。
本当に思いつかなかったとしても、現場でそんなことを言ったら、アッという間に仕事が来なくなる。
会社員でないので、その辺はシビアな世界である。
自営業と比較しても、なんらかの商売をする場合は、通常売るものを仕入れなければならないが、こういう執筆商売は他の商売と違って、物理的な意味での仕入れを必要としない。
その分、自分自身の能力が売り物であり、品質の全てだ。そういう不確定な要素に頼る商売のため、安定した品質にあまり自信のない自分にとっては、毎日が綱渡り状態である。
これは、脚本に限ったことではないと思うが、最初になにもないところから、なにかを作ろうというのはかなりのエネルギーを要求される。
なにかの弾みに思い浮かんだことがネタになったりはするが、そんな弾みなど待つ余裕などない。
趣味の創作なら、こういう話を思い浮かんだから書いてみよう! という事で書くことが出来る。
しかし、通常、相手から要求される条件があって創作に入るわけで、いつでも書きたい話を書くわけにもいかない、というより個人的に書きたくない話でも、そういう発注があれば、きちんと、それも出来る限りの知恵を絞って書かなくてはならないのだ。
さて、どうしても思い浮かばない時は、どうするか?
とにかく形にしていく、ということだけに専念する。
以前にも書いたが、単なるひとつのお話しを作るだけなら、それほど苦労はないのだ。そもそも、これができないと、脚本家という仕事は絶対にできない。言ってみれば、脚本家という職業を生業とするために必要な資質の最低条件である。
うまいかヘタかは別として、話が書けなければ脚本は書けない。
こうして、とりあえず愚にも付かない脚本ができあがったとする。これは、ストーリーらしきものの羅列であって、自分で読み返しても、いや書いている途中ですら、ろくでもない出来だと思ってしまったりする。
でも、なにも書かないよりはマシである。
どうしてもヤバイ状況の場合、とりあえずこの状態で提出したくなる欲求に駆られることもある。
どんなヘボイ内容でも、よほどの名ライターでない限り、なにも出さないよりは、なにかを出しておいたほうが、スタッフの心証が絶対に良いからだ(笑)
さすがに、そのまま提出してしまうのはマズイと思うが、書かずにあーだこーだと悩んで時間を費やすよりも、 とりあえず1本書いてしまって、リライト(書き直し)に時間を裂いたほうが結果的には良くなることも多い。
「脚本は最初から最後まで書き上げてからが本当の勝負」
などと言われるゆえんだ。
これは、実際理にかなっていると思う。
頭の中で考えているだけだと、思考が混沌としていて、うまくまとまらない。
焦れば焦るほど、思考回路がループしてしまう。
とりあえず、文章として書くことで、目で見える形になるので思考の整合性だけは取れる。
また、キーボードを叩いていると、脳も活性化するらしく、頭の中で考えている時は思いつかなかったインスピレーションが浮かぶことがある。
実際、私の場合に限れば、この段階で大抵なにかを思いついて一気にまとめるパターンが多い。
最後までなにも出てこなかった、というのは、よほどのスランプでない限りあり得ない。
そうはいっても、怖ろしいことに、そのよほどのスランプという時が、まったくないわけではないのだ。
最後まで書いても、結局満足するアイデアが出てこなかったということもある。
しかし、必死こいて最後まで書くということには、とても意味がある。
最後まで書けば、自分でそれを見直すことができるからだ。
満足に書けても、書いたものの見直しはするが、この場合の見直しは少し意味が違う。
自分の書いたものを、まるで他人が書いたもののように批評することが目的だからだ。
食事のうまいまずいから、テレビや雑誌に登場する異性の容姿まで、人は無意識のうちに自分の中にある情報と照らし合わせて、瞬時に判断を下す。
ものごとを批評や批判する、というのは、人が生活する上で基本的な行動である。
批評や批判というのは、誰にでも出来る能力だ。
であるから、自分の書いた脚本を自分自身で批評したり批判することで、方向性を見いだすことができる。
ただし、批評や批判というのは、自分の中にある感性と比較するものなので、書いてすぐでは、なかなかうまく出来ない。自分の中に、そのまま残ってしまっているからだ。
時間を空ければ空けるほど、これは効果的である。
私など、脱稿した当時は会心の出来! と思っていた脚本ですら、数年後に見ると、なんだこのホンは? みたいなことがしょっちゅうある。恥ずかしい話だが(笑)
胃が痛くなるし、眠れなくなるし、書けなくなると本当に辛い。
いつか、本当に何も書けなくなるんじゃないか? という恐怖が、常に背中に貼り付いている。
物書きは一部の人には憧れの職業でありますが(自分もそうだった)、実際には身を削るのが当たり前のしんどい仕事なのであります。
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