いつも弱い立場の私って……
私はゲーム業界からアニメ業界へ仕事の場を移した。これは結構変わり種らしい。普通は、アニメ業界からゲーム業界へ移るのが定番だからだ。
私は、ゲームメーカーにいた頃は、前回話したように、アニメ会社の人達に腰を低くしていた。今度はアニメ業界だ、立場逆転だよん! とか思っていたのだが、さにあらず、状況は一変していた。以前はアニメのゲーム化が主流だったのに、いつの間にかゲーム原作のアニメ化がすっかりトレンドになっていたからだ。結局、私は、いつでも版権をお借りする立場にしかいられない運命のようである。泣けるぜ……
そう、いまは平均的に見て、アニメ会社よりゲーム会社のほうが強い。それは、やはり時代の流れとしかいいようがないのだが、それに至った経緯を振り返ってみる。
アニメ業界もコンプレックスで超進化(笑)した
前回、ゲーム業界には、アニメ(実写映画も含む)に関する根強いコンプレックスというものがあったと書いた。先行メディアに対するコンプレックスというのは、ゲームメディアに限ったことではない。
アニメ業界も、その黎明期、実写に対するコンプレックスが少なからずあったのだ。特に演出家・脚本家に関しては、その傾向が顕著で、実写映画を作りたかった監督、実写映画のシナリオ作家や小説家になりたかった脚本家が大半であった。当時はアニメーション自体が子供向けのマンガ映画という認識だったのだから、それは致し方のないことかも知れない。現在巨匠といわれる方々のインタビューなどを読むと、最初は、志望かなわず不本意な形でアニメという仕事に就いた、と語る人は多い。
70年代のテレビアニメは、そういった情念を持った作家陣が、アニメに実写の演出論を持ち込んでみたり、子供アニメに思想を持ち込んでみたり、ドラマ性を追求してみたり、実写さながらにカメラのレンズを意識した画面作りをしてみたり……と様々な試行錯誤を繰り返していた。コンプレックスというものは、前向きに動くとかなりのエネルギーになるのだ。
これに加え、極端な動画枚数制限という悪条件を逆手にとって、レイアウト主義、タイミング主義といった日本独自のアニメーション技法が開発され、世界に冠たる日本製アニメーションが確立されていったのである。
だが、その後、何度かのアニメブームを経て、最初からアニメが好きで、アニメ業界入りする人達が大半になってくるに至り、更に進化した部分もあるが、ある意味停滞した部分もあることも否めないと思う。
ゲームメディアの圧倒的な強み
アニメ業界の世代交代が、徐々におこなわれている時期に、テレビゲームというメディアが生まれた。
日本製のゲームは、シューティングやアクションなど、プレーする際には本来無関係なはずのジャンルでも、必ず確固たる世界観やストーリー性を持ち込んでくる。これも、先行した映像メディアに対する、ゲームスタッフのコンプレックスの現れだろう。ゆえに日本のゲーム作家の方向性は、RPGを例にして挙げれば、ストーリーをプレーヤーに委ねる『ウィザードリィ』よりも、作家がストーリーをコントロールする『ドラゴンクエスト』なのだ。
最近では、あまり聞かれないが、一時期、やたらと映画を目指すだの、映画を越えただのといったフレーズがゲーム雑誌などで目に付いたものである。
そして、数年が経ち、ゲームもアニメと同様、物心付いたときからテレビゲームというメディアに触れてきた世代が現れ始める。こういう人達は、はなからゲームを作りたくて業界入りしてきた人であり、我々の世代と違って、アニメに対するコンプレックスを持った人は少ない。この新しい世代と、映画やアニメにコンプレックスを持つ世代が入り交じっているのがいまのゲーム業界の状況といえる。
アニメ制作の問題点
テレビゲームというメディアは、子供から一般の若者の間にアッという間に浸透し、アッという間に、大人も子供も大きく飲み込んでしまった。
対するアニメーションは、どうしても対象の中心が、子供とアニメファンといったように、ファン層が限られてしまう。
こうなると、ゲームの影響力のほうが圧倒的に強い。アニメの新作がニュースネタになることなど、タイアップとスタジオジブリ作品を除いてほとんどあり得ないが、『ファイナル・ファンタジー』『ドラゴンクエスト』の新作発売時には、必ずニュースで紹介されるのはご存じの通りだ。
新興のゲームメディアの快進撃の裏で、アニメ業界からゲーム業界への人材流出も激しく、業界全体の大きな問題となっている。
ゲーム会社は、ゲームという商品を売る商売であるため、売れた分だけ、現金が直接入って来る。アニメーションの制作は、極論すれば放送局の下請けに近く、システム上、仮に自分らの制作したアニメが大ヒットしたとしても、なかなかその利潤を直接得ることができない……というより、たいていの場合、制作費を直接的に回収することは不可能に近い。そのため、慢性的に自転車操業を余儀なくされているスタジオが大半なのだ。
これで一番影響を被るのは、アニメーターを初めとする最前線の人達である。業界入りした若いアニメーターが、就職が決まったにも関わらず、親の仕送りを受けて生活している……などということも耳にする。こんなシャレにならない状況のうえ、予算やスケジュールを改善しようと考える前に、現状維持最優先で、動画などをコストの安い海外に下請けに出してしまう。
これらの問題は、一概に制作会社だけの責任とは言い難く、システムに構造的な欠陥があるからなのだが、まあ、それは別の話。
とにかく、お世辞にも好環境といえない勤労状況の結果、有望な人材がゲーム業界に流れていってしまう。純粋にゲームからアニメにシフトした私が、変わり種と呼ばれる理由はここにある。まあ、私の場合、脚本だからアニメーターとは、単純に比較できないんだけど。
激しい競争の中から、生まれる可能性
人材流出の問題に加え、アニメーションのデジタル化が進んでいるとはいえ、基本は家内制手工業である。やたらと人材を必要とするうえ、一定以上の予算を必要とするため、ほいほいと気軽に大きな冒険はできない。
ゲームの場合、よほどの大作を除けば、ある程度の人材とそこそこの予算でも1本の作品を作り上げることが可能だ。特に18禁ものなどは、かなりの低予算で仕上げることができるため、その分、冒険的なこともできる。
日本アニメが実写映画に負けまいとして、独自表現を編み出したのと同様、ゲームもまた、アニメを取り込み、実写映画を取り込み、更には小説、音楽、あらゆるメディアをどん欲に取り込み、いままさに進化の途上にある。
昨今、特筆すべきこととして、18禁ゲームとして作られたゲームが、一般ゲームとしてリニューアルされヒットしたり、様々なメディアを席巻していることが挙げられる。なにしろ、18禁のアダルトゲームは、驚く無かれ、日本国内だけで多いときで月100本以上リリースされているのだ!
もちろん、首を傾げざるを得ないものも多数含まれているが、その中から生き残ってきた作品というのは、さすがに作品そのものに色々な意味で力がある。
ゲームのアニメ化作品、増えまくり!
家庭用ゲームの普及に合わせ、実はかなり早いうちから、ゲームをアニメ化した作品は存在している。しかし、それらの作品が成功した、とは言い難かった。何故かといえば、アニメ側のスタッフが、ゲームというものを理解せず、単にキャラクターを借りるだけの作品が多かったからである。
現在は、ゲームに対してちゃんと理解する姿勢を示すアニメスタッフや、ゲーム世代の若いスタッフの参加で、『ポケモン』の例をとるまでもなく、ゲームアニメ化作品の成功例が大変多くなってきた。
かくいう私も、現在、ゲームのアニメ化作品……特に18禁ものの仕事が、最も多い。というわけで、次回はゲームのアニメ化について考えてみたい。本稿のテーマである、アニメとゲームのメディアの違いが浮き彫りになるはずだ。でも、ならなかったらごめん……
(まだ続きます)